大阪市立美術館の研修生のころ

 

儀間比呂志 活動経緯

 終戦まで:

 1923年沖縄那覇に生まれた儀間比呂志は青年時代に沖縄人が移住していた南洋を放浪しました。テニアン島では沖縄芝居の一座と行動を共にし、看板書きなどの雑用をやっていたという話です。 大戦末期に海軍に徴兵され横須賀に配属されました。南方に送られるはずが、輸送船が米軍によって殆ど沈められたた送られずにすみ命拾いしました。

 大阪に移住:

 終戦直後復員列車に乗って大阪まで来てここで画家になることを決意し、大阪市阿倍野区に腰を落ち着けました。

 大阪市立美術館の研修生として絵の勉強を始め、ここで知り合った夫美恵と結婚しました。

 このころ大阪難波の路上で進駐軍兵士相手に似顔絵を描いたり新聞に挿絵付きのコラムを掲載したりしていました。

 
 

  狭山に転居したころ

 

 1952年ころ大阪府堺市の公営団地に引っ越しました。

 1955年ころから展覧会に入賞するようになり1959年行動美術展新人賞を受賞し同会の会友となりました。

 アメリカの施政権下の沖縄へ渡航し、地上戦で破壊され米国の軍政で混乱する姿を見て強い影響を受けました。この後テーマにこれを取り上げた作品が多くなりました。

 油彩画とともに木版画にも取り組むようになり、頻繁に個展を開き、版画の画集を出版するようになりました。

 1963年団地は手狭なので大阪狭山市(当時は南河内郡狭山町)に転居しました。

 1966年「版画風土記沖縄」を自費出版、復帰前の沖縄の姿を描きました。

 1970年川平朝申氏と共著で絵本「ねむりむしじらあ」を出版します。

 木版画で制作した挿絵が好評だったので翌年、文と挿絵すべてを一人で作ß成した創作絵本「ふなひき太郎」を出版。これによって毎日出版文化賞を受賞。以後次々と創作絵本を発表します。

  1979年中山義彦氏と共に沖縄戦版画集「戦がやってきた」を出版、以降沖縄戦をテーマにした版画集や絵本の制作もライフワークとして取り組むようになりました。

 1987年琉球新報夕刊に「新版画風土記沖縄」と銘打って復帰後の沖縄の姿を文と版画で描いたものを連載。

 
     

2000年ころ狭山のアトリエにて

 1989年海風社からこの内容を1冊の本にまとめて出版しました。

 1994年それまでの版画の集大成として「版画集 儀間比呂志の沖縄」を海風社から出版。

 2009年モンゴル800と共著で詩画集「琉球愛歌」を出版

 2017年4月11日永眠。

 

 

 

 

         

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